福岡地方裁判所久留米支部 平成10年(ヨ)75号 決定 1998年12月24日
債権者
松田新一
債権者
棚町悟
債権者
大渕嘉充
債権者
井上啓行
債権者
松藤常義
債権者
立石三保子
債権者
大楠健祐
債権者ら代理人弁護士
内田省司
同
馬奈木昭雄
同
髙橋謙一
同
三溝直喜
債務者
北原ウエルテック株式会社
右代表者代表取締役
北原明彦
債務者代理人弁護士
塙信一
主文
一 債務者は、債権者井上啓行及び同松藤常義に対し、平成一〇年八月一日から、同松田新一、同棚町悟及び同大渕嘉充に対し、同月四日から、いずれも平成一一年五月三一日まで、毎月一〇日限り、一か月当たり別紙一仮払金目録の各金員を仮に支払え。
二 第一項の債権者らのその余の申立てをいずれも却下する。
三 債権者立石三保子の申立てをいずれも却下する。
四 債務者の債権者大楠健祐に対する平成一〇年七月二三日付け株式会社ケイ・エス・ケイへの一年間の出張命令の意思表示の効力を仮に停止する。
五 訴訟費用は次のとおりの負担とする。
1 債権者松田新一、同棚町悟、同大渕嘉充、同井上啓行及び同松藤常義に生じた分は三分し、その二を債務者の、その一を同債権者らの各負担
2 債権者大楠健祐に生じた分は債務者の負担
3 債権者立石三保子に生じた分は同債権者の負担
4 債務者に生じた分は二一分し、その三を債権者立石三保子の、その一を債権者松田新一、同棚町悟、同大渕嘉充、同井上啓行及び同松藤常義の、その余を債務者の各負担
事実及び理由
第一申立て
一 債権者松田新一、同棚町悟、同大渕嘉充、同井上啓行、同松藤常義及び同立石三保子が債務者らに(ママ)対し、雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定める。
二 債務者は、債権者松田新一、同棚町悟、同大渕嘉充、同井上啓行、同松藤常義及び同立石三保子に対し、平成一〇年八月一日から本案判決確定まで、毎月一〇日限り、一か月当たり別紙二請求金目録の各金員を仮に支払え。
三 主文第四項と同旨。
第二事案の概要
本件は、債権者松田、同棚町、同大渕、同井上及び同松藤は、債務者が同債権者らに対してした解雇の意思表示は整理解雇の要件を欠いており権利の濫用に当たると主張し、債権者立石は、債務者から欺罔又は強迫されて退職届を提出したが、その後、右退職届による意思表示を取り消したと主張し、いずれも債務者との雇用契約上の権利を有する地位にあることを仮に定めるとともに平成一〇年八月一日以降の賃金の仮払を求め、また、債権者大楠は、債務者の関連会社である株式会社ケイエス・ケイへの出張命令は無効であると主張して、右出張命令の効力を仮に停止することを求める仮の地位を定める仮処分命令申立事案である。
第三争いのない事実
一 当事者
債務者は、半導体部品の製造、新幹線車輌部品の製造等を業とする株式会社である。
債権者らは、いずれも、債務者に雇用され、半導体製造装置の組立て、部品溶接、研磨、プログラム制作、品質管理等の作業に従事してきた従業員である。
二 債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕関係(解雇の意思表示)
債務者は、平成一〇年六月三〇日付けで債権者井上及び同松藤に対し、同年七月四日付けで債権者松田、同棚町及び大渕に対し、労働基準法二〇条に基づき、就業規則二一条の4(やむを得ない業務上の都合によるとき)によって、同書面送達の日より三〇日後に解雇になる旨を記載した解雇予告通知書を郵送し、解雇の意思表示をした(以下、同意思表示を「本件解雇」といい、同通知書を「本件解雇通知書」という。)。
三 債権者立石関係(退職届とその撤回)
1 同年七月七日、債権者立石は、同月三一日を退職日とする退職届(以下「本件退職届」という。)を債務者に提出した。
2 同月二八日、同債権者は、本件退職届を撤回する(取り消す)旨の意思表示をした。
四 債権者大楠関係(解雇の意思表示とその撤回、出張命令)
1 債務者は、同年七月六日、債権者大楠に対し、労働基準法二〇条に基づき、就業規則二一条の4(やむを得ない業務上の都合によるとき)によって、同書面送達の日より三〇日後に解雇になる旨を記載した解雇予告通知書を郵送し、解雇の意思表示をした。
2 同月二二日、同債権者が、債務者に対し、右解雇予告通知書の名前が間違っているから、同通知書は同債権者に対するものではないと指摘したところ、これを受けて、債務者は、右解雇予告通知を撤回した。
3 債務者は、同債権者に対し、同月二三日付けで、債務者の関連会社である株式会社ケイ・エス・ケイに、同月二七日から一年間、職種機械組立てとして出張を命ずる旨の出張命令書を交付した(以下、同命令を「本件出張命令」、同命令書を「本件出張命令書」といい、これに基づく出張を「本件出張」という。)。
五 債務者の就労拒否と賃金不払
債務者は、債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕については本件解雇の意思表示が、債権者立石については本件退職届が、いずれも有効であると主張して、同債権者らが債務者に対する雇用契約上の地位を有することを争い、同債権者らの就労を拒否し、同債権者らに対する解雇日の翌日(債権者井上及び同松藤については平成一〇年八月一日、同松田、同棚町及び同大渕については同月四日)以降の賃金の支払を拒否している。
第四争いある権利関係の存否
一 債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕関係
1 同債権者らの主張
(一) 本件解雇(整理解雇)が有効であるためには、<1> 企業経営上、整理解雇の必要性があること、<2> 解雇回避の努力を尽くしたこと、<3> 解雇対象者の選定基準が客観的・合理的であること、<4> 労働組合又は労働者に対する説明・協議の義務を尽くしたこと、の四要件が充足される必要がある。
(二) 右の要件を本件解雇についてみると、右<1>については、債務者の受注・売上減の要因は今日の不況によるものというよりも、債務者の従業員に対する技術教育の不足による品質管理のまずさに起因している。右<2>については、解雇回避の努力を尽くした形跡はほとんど認められず、特に、正社員の大幅な人員削減をするに際し、希望退職者を募る等の手続を何ら経ていない。右<3>については、解雇対象者の選定基準とした考課表もきわめて杜撰で、恣意的評価というほかない。右<4>については、事前に何らの説明も協議もないまま、解雇事由を「やむを得ない業務上の都合」とのみ記載した本件解雇予告通知書を突然郵送している。
このように、整理解雇の要件のいずれの点においても、本件解雇の意思表示は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当として是認することができず、解雇権の濫用として無効である。
2 債務者の主張
整理解雇が有効であるためには、右債権者らが主張する四要件が必要であることは争わないが、本件解雇は次のとおりいずれの要件をも充足している。
すなわち、右<1>については、平成九年一二月のアジア通貨危機に端を発して日本の製造業界が大不況に見舞われていることは公知の事実であるところ、債務者においても事情は同じであり、半導体メーカーからの受注が激減し、平成一〇年に入り、毎月の売上げが対前年比で四〇%ないし五〇%減少するようになっており、余力のあるうちに人員削減を実施して経費節減を図る必要がある。右<2>については、債務者では、右の受注・売上減を受けて、平成一〇年三月から、パート職員九名の自宅待機や残業をできるだけ行わないようにするなどの人件費削減措置を講じてきたが、売上げが一向に好転せず、このままでは会社経営に支障を来すことが明らかとなったため、大幅な人員削減が不可欠な状況に至った。なお、人員整理の一環として雇用延長していた六〇歳以上の高齢者一〇名及び女性のパート職員九名全員を同年八月末で退職してもらっている。右<3>については、人員削減に際して人事考課を行い、かつ、選考の公正を期するため溶接研磨テストの成績、勤怠成績及び納入先の東京エレクトロン九州株式会社が実施した組立技能テストの成績などを総合考慮して公正に解雇予定者を決定した。右<4>については、債務者は、前記のような受注・売上減や人員削減の必要性などについて、毎月一〇日に主任以上の者を集めて行われる給与支給式やそれを受けて各部署別に行われる朝礼でグラフなどを掲げて説明しているから、全従業員は、債務者が前記のような経営環境にあることを十分に承知していたはずである。
このように、債務者は、整理解雇が避けられない経営状況にあり、解雇回避のために最大限の努力をしたものの、いっこうに経営状況が好転しないことから、整理解雇を必要とする事情を全従業員に説明した上で、解雇者選定について合理的基準を設定しそれに従って整理解雇を実施したものであって、本件解雇は権利の濫用に当たるものではない。
3 当裁判所の判断
(一) 一般に、不況等に伴う経営合理化のために余剰人員削減の手段として行われるいわゆる整理解雇は、労働者がいったん取得した雇用契約上の地位を労働者の責に帰すべからざる事由によって一方的に失わせるものであり、労働者の生計に与える影響も大きいから、それが有効であるというためには、<1> 企業経営上、人員削減を行うべき必要性があること、<2> 解雇回避の努力を尽くした後に行われたものであること、<3> 解雇対象者の選定基準が客観的・合理的であること、<4> 労働組合又は労働者に対し、整理解雇の必要性とその時期・規模・方法につき、納得を得るための説明を行い、誠意をもって協議すべき義務を尽くしたこと、の各要件をいずれも充足することが必要であると解される(以下、右の要件は<1>ないし<4>の数字のみで特定することもある。)。
(二) これを本件について見るに、確かに、<1>については、債務者の平成一〇年に入ってからの債務者の受注・売上げは大幅に減少し(<証拠略>)、債務者の経営上、人員を削減し人件費の節減を図る必要が生じていること、<2>については、経費節減策として、九名のパート職員を自宅待機にしたり(<証拠略>)、残業を極力回避する(<証拠略>)などの人件費節減措置を講じ、また、平成一〇年に入ってからの新規採用は高校の新卒者及び研修生若干名を除いて行っていないこと(<証拠略>)、<3>については、解雇対象者の人選について、人事考課(<証拠略>)と技能試験(<証拠略>)の結果及び商品納入先の東京エレクトロン九州株式会社が行った資格認定試験の結果(<証拠略>)等を総合的に評価して決していること、<4>については、主任以上が参加して行われる月一回の給与支給式において、債務者が前記認定したとおり(<1>に対する右説示参照)人員整理を必要とする状況にあることや人員整理を実施することがあり得ることを説明し(<証拠略>)、これを受けて、各部署で行われる朝礼等において右の内容が非管理職の従業員にも伝達されていること(<証拠略>)、以上の事実が一応認められる。
(三) しかしながら、他方で、<2>については、債務者では、毎年相当数の従業員が技術不足などの理由から仕事に限界を感じ、自ら退職しているというのである(<証拠略>、債務者代表者の審尋結果。<証拠略>によれば一か月の平均退職人員は約三名となる。)から、未だ勤労意欲のある右債権者らを直ちに整理解雇するという方法に出なくとも、一定期間(例えば、本年末まで)は右のような自然退職による従業員数の減少を待つという方法もあったと考えられるし、仮に、右の方法では時期を失するおそれがあったとしても、右債権者らに対する整理解雇を実施する前に、従業員に対し個別的に退職勧奨を行って任意の退職者を募ったり、従業員全員の中から希望退職者を募集したりする余地もあったと窺われる(<証拠略>の大日本スクリーンの人員削減の方法参照。なお、債務者代表者は、希望退職者を募集すれば、会社にとって必要不可欠な人材が失われるおそれがあるため、右の方法は採用できなかったという(<証拠略>、債務者代表者の審尋結果)が、退職を希望した従業員が会社にとって不可欠な人物である場合には、個別的に慰留するなどの方法によって右のおそれを回避することができると窺われるのであって、右の点は、希望退職者を募集する等の手続を経なかったことを正当化させるとはいえないし、現に、債務者において、本件解雇の後に実施予定の人員整理においては、かかる方法を採用した上で整理解雇を実施することが予定されている。<証拠略>)。
また、<4>については、債務者では人員整理を行うことが必要な状況にあり、いずれ人員整理が行われる可能性があることを主任以上の管理職に対して説明しているとしても、直接に解雇の対象となる可能性が高い非管理職の従業員(ないしその代表者)との間では右に関する協議の機会を設けたことは一度もなかったことが一応認められる(審尋の全趣旨。そのような場を設けることができないほど事態が切迫していたとも窺われない。)。
(四) 以上の認定事実を合わせ考慮すれば、債務者がその経営を維持する上で人員削減を必要としており、本件解雇に当たっても債務者なりに努力と配慮をしていることは一応認めることができるものの、整理解雇が従業員の意思とは無関係に従業員の地位を一方的に失わせ、その生活に重大な影響を及ぼすものであることに照らせば、本件解雇に先立って、希望退職者の募集等の整理解雇を回避するための措置や、従業員への説明・協議の措置を尽くす必要があったというべきであり、これらの措置を採らずに実施した本件解雇は、その手続面において合理性を欠いていると解するのが相当である。
したがって、本件解雇が権利の濫用に当たり無効であるとの同債権者らの主張は一応理由がある。
(なお、債権者松藤は、本件解雇予告通知書を受け取った後に退職届を提出している(<証拠略>)が、同退職届は、突然右通知書の送付を受け、右通知書が有効なものであると誤信して提出したものと一応認められるから、錯誤に基づくものとして無効であると解すべきである。)。
二 債権者立石関係
1 同債権者の主張
同債権者は、平成一〇年七月四日、債務者の北原透江専務(以下「北原専務」という。)から、「債務者は五〇名の過剰人員であり、(同債権者が属する)品質管理課は廃止されるので退職してパートになって欲しい。しかし、パート収入より失業保険を受ける方が得策であり、久留米市は雇用指定地域になるから一年半くらいは受給できるのではないか。退職金は他の人より多く出す。退職届は同月三一日付けで出して欲しい。」等と退職を勧奨されたため、債務者が過剰人員であり、品質管理課も廃止されるものと信じ、また、パート収入では生活ができないから、右退職勧奨に応ずるほかないと考えた。
債務者は、翌日以降、同債権者に対し、「退職日までは有給休暇をとればよい。有給休暇の使用は退職届と同時でなければ認められない。」と退職届の提出を強く迫ったため、同月七日、有給休暇申請書と合わせて同月三一日を退職日とする本件退職届を提出した。
ところが、実際は、債務者ではその後かえって残業時間が多くなっており、必ずしも人員過剰ではなく、品質管理課の廃止の動きもなく、同債権者の退職届提出後、同課には二名の従業員が補充されており、また、失業保険の受給期間も一年半ではなく九か月であったもので、北原専務の前記説明はいずれも虚偽であったことが判明し、かつ、本件退職届も右のような虚偽の説明をもとに提出を強要されたものであるから、同債権者の退職の意思表示は詐欺又は強迫によるものである。
2 債務者の主張
同債権者の本件退職届は、北原専務が概ね同債権者が主張するような内容で退職を勧奨したのを受けて、任意に提出されたものである。債務者が人員過剰であること、品質管理課が廃止される予定であったこと(その後、現に廃止されている。)は北原専務が述べたとおりであって、右退職勧奨は詐欺や強迫には当たらない。
3 当裁判所の判断
同債権者の主張は、要するに、(イ)債務者に人員削減の必要があり、(ロ)品質管理課がいずれ廃止される、ということを聞いて、自分の仕事がなくなるのであれば、退職するのもやむを得ないと考えて本件退職届を提出したところ、その後の事情から見て、右の説明はいずれも虚偽であったとの事実を前提とするものである。
しかして、右(イ)の点については、債務者では平成一〇年に入ってから受注・売上げが大幅に減少しており、人件費節減のため人員削減の必要があることは前記認定のとおりであり、また、右(ロ)の点については、同債権者退職後の平成一〇年一一月一日までに品質管理課を廃止していること(<証拠略>)が一応認められるのであって(これが同債権者らを退職させるための口実として単に組織を変更しただけであるとする疎明はない。)、これらの点に照らせば、債務者の同債権者に対する説明が虚偽であったとは認められない。また、北原専務が失業保険の受給期間が一年半であると述べたとの的確な疎明はなく、仮に、同債権者主張のとおりであったとしても、北原専務は「一年半くらいは受給できるのではないか」と述べたに過ぎないのであるから、この点も詐欺(欺罔行為ないし違法性)に当たると解することはできない。そして、他に、債務者の退職勧告が詐欺に当たることを疎明するに足りる証拠はなく、また、本件退職届の提出に際して、強迫に当たるような事実があったことを疎明するに足りる証拠もない。
以上によれば、本件退職届が債務者の詐欺又は強迫によるとの同債権者の主張は採用することができないから、その余の点について判断するまでもなく、同債権者の申立てはいずれも理由がない。
三 債権者大楠関係
1 同債権者の主張
同債権者は、平成九年七月一日、債務者に雇用され、勤務場所を債務者本社と定められていたから、就業場所を別会社である株式会社ケイ・エス・ケイに変更することは労働契約に違反する。また、債務者の就業規則(<証拠略>)には「会社の都合により、転職又は勤務の変更を命ずることがある」(同一〇条一項)との定めがあるのみで、この規定を根拠に別会社への出向を命じることはできない。それのみならず、債務者の同債権者に対する解雇予告通知書の送付、同債権者の名前の誤記の指摘による同通知書の撤回、株式会社ケイ・エス・ケイへの出張命令という一連の経過(前記第三の四の1ないし3)に照らせば、本件出張命令は、解雇・退職に応じなかった同債権者への嫌がらせによる事実上の退職強要である。
したがって、いずれにしても、本件出張命令は業務命令権の濫用であって無効である。
2 債務者の主張
債務者は、同債権者を平成九年一月一日付け出向規定に基づいて出張させており、何ら問題はない。また、株式会社ケイ・エス・ケイは、その株式の九五%を債務者の代表取締役(北原明彦)及び専務(北原透江)が保有し、かつ、取締役も債務者と共通しているから、別会社とはいえ、実態は債務者の一事業所に過ぎないのであって、右出張命令は転勤と同視すべきである。
3 当裁判所の判断
(一) 本件出張命令は、債務者とは別会社である株式会社ケイ・エス・ケイに対する出張を命じるものであって、いわゆる出向(労働者が雇用先の企業に在籍したまま、他の企業の事業所において相当長期間にわたって当該他企業の業務に従事するもの)に当たるものである。
しかして、出向は、一般には、労働契約の内容に重大な変更をもたらすことが多いから、就業規則に規定があるか、労働者の債務者の(ママ)個別的な同意がなければ出向させられないと解すべきであるが、形式的には別企業への出向であっても、転勤と同視できるような特段の事情がある場合には、出向(転勤)の必要性とそれによる労働者の不利益とを比較衡量し、その適否を判断すべきものと解される。
(二) これを本件について見ると、確かに、株式会社ケイ・エス・ケイは、債務者の関連会社で、役員のうち代表取締役(北原明彦)、取締役一名(北原伸浩)及び監査役(北原透江)は債務者と右同社を兼務しており、本社工場かつ本店所在地も同一(久留米市宮ノ陣町)である(<証拠略>、本件記録編綴の債務者の商業登記簿謄本)が、他方で、同債権者が出向を命じられたのは株式会社ケイ・エス・ケイの熊本事業所(熊本県下益城郡松橋町。<証拠略>の裏表紙参照)であり、かつ、従事する業務も債務者では研磨工であったのに対し、株式会社ケイ・エス・ケイでは本件出張命令上は機械組立とされ(<証拠略>)、実際には配送、検品等の作業を担当していること(<証拠略>、同債権者の審尋結果)に照らすと、本件出張には転勤と同視できるような特段の事情があるとは認め難いというべきである。
そうとすれば、同債権者の同意を得ることなく、株式会社ケイ・エス・ケイへの出張を命じた本件出張命令は、業務命令権の濫用に当たると解される。
(三) また、仮に、本件出張が実質的には転勤と同視できると解するにしても、本件出張命令に至る経緯に照らせば、株式会社ケイ・エス・ケイに債務者の従業員一名を転勤させるに際し、同債権者が適任であるかどうか、他の従業員で同債権者より不利益の少ない者がいないかどうか等の諸点を比較検討した上で決定されたものとは窺われず、むしろ、同債権者に解雇通知を送付したところ、名前が違うから自分に対するものではないと抗議されたことを受けて、本件出張を命じたものと窺われるものであって(前記第三の四の1ないし3の事実及び同債権者の審尋結果によれば、同債権者が解雇通知の名前が違うと指摘した当日(平成一〇年七月二二日)に、債務者は、右解雇通知を撤回するとともに、口頭により本件出張を命じた上、後日、本件出張命令書を交付したことが一応認められる。)、右の経過に照らすと、本件出張命令は同債権者に退職を余儀なくさせる意図で行われたと推察されないではなく、仮にそうでないとしても、出向者として同債権者を選定したことに合理性があったとは認め難いというべきである。
(四) 以上によれば、同債権者に対する本件出張命令は、いずれにしても無効であると解すべきであり、出向規定に基づくか否かは右判断を左右しないところ、他に右判断を左右するに足りる証拠はないから、本件出張命令は業務命令権の濫用であって無効であるとの同債権者の主張は一応理由がある。
第五仮の地位を定める必要性
一 債権者立石を除く債権者らの主張
1 債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕の主張
同債権者らは、いずれも債務者から支払われる賃金を唯一の収入として生活していたところ、本件解雇により収入の途を失ったから、本案判決が確定するまで右賃金の支払がなければ、同債権者ら及びその家族の生活が維持できず、著しい損害を被ることは明らかである。
2 債権者大楠の主張
債権者大楠は、妻と二人家族であるが、本件出張命令によって、最低一年間は単身赴任を余儀なくされ、二重生活に伴う経済的負担も大きいから、本案判決が確定するまでの間に著しい損害を被ることは明らかである。
二 債務者の主張
いずれも否認ないし争う。
三 当裁判所の判断
1 債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕
(一) 賃金仮払の必要性
審尋の全趣旨(同債権者らの主張及び債務者が特に反論しないこと)によれば、同債権者らは、いずれも、債務者から支払われる賃金によって生計を維持しており、他に収入はなかったところ、本件解雇により右の収入の途を失ったこと、債権者松藤、同棚町及び同井上は、同居の家族が収入を得ているものの、その収入額及び家族構成に照らすと、、(ママ)右各債権者はいずれも、右家族の収入のみでは家族全員の生活を維持することは困難であることが一応認められるから、標記債権者らに賃金仮払を認めるべき必要性が一応認められるというべきである。
(二) 仮払すべき賃金の額
同債権者らは、平成九年分の給与所得の支払金額(税金等控除後の収入金額)をもとに算出した一か月当たりの平均額(別紙二請求金目録のとおり。)を一か月当たりの賃金として、同金員の仮払を求めている(<証拠略>)が、同債権者らが実際に受給していた賃金は、税金等控除後の所得金額(<証拠略>の「給与所得」の金額)であり(その一か月平均額は、別紙一仮払金目録のとおりである。)、これにより生計を維持していたことが一応認められるのであって、これを超えて、同債権者らが主張する別紙二請求金目録の金員仮払を命ずべき必要性があるとの疎明はないから、別紙一仮払金目録の金員の限度で債務者に仮払を命ずべき必要性があると一応認めるのが相当である。
(三) 仮払すべき期間
右金員の仮払を命ずべき期間については、本件仮処分は本件解雇による同債権者らの生活の困窮の回避と本案訴訟の提起・追行を実効あらしめるために必要とされるものであるから、右の観点から、同債権者らが生計を維持するために必要とされる他の就業先の確保の可能性、本案判決確定までに要すると思料される期間、その他諸般の事情を斟酌すると、賃金仮払を命ずべき期間は、本件解雇の効力発生後(債権者井上及び同松藤は平成一〇年八月一日、同松田、同棚町及び同大渕は同月四日)から約一〇か月後の平成一一年五月三一日までと一応認めるのが相当である。
(四) 雇用契約上の地位を有することを仮に定める必要性
前記判断のとおり、同債権者らに対する本件解雇は無効であるから、同債権者らはいずれも債務者に対する雇用契約上の地位を有していることになり、これを前提に債務者に対して賃金の仮払を命じる以上、これとは別に、右債権者らが右雇用契約上の地位を有することを仮に定めるべき必要性はないものと判断する。
2 債権者大楠
同債権者の審尋結果並びに審尋の全趣旨(同債権者の主張及び債務者が特に反論しないこと)によれば、同債権者は、妻と二人家族であり、本件出張命令によって単身赴任を余儀なくされ、二重生活による経済的負担を被っていることが一応推認されるから、本案判決の確定までの間に著しい損害を被るおそれがあることが一応認められる。
したがって、同債権者に対する本件出張命令の効力を仮に停止する必要性が一応認められるというべきである。
第六結論
以上によれば、
1 債権者井上、同松藤、同松田、同棚町及び同大渕の賃金仮払を命ずべき旨の申立てのうち、主文第一項掲記の部分は一応理由があるから、同債権者らに担保を立てさせないで認容し、その余の申立て部分及び同債権者らが債務者に対する雇用契約上の地位を有することを仮に定めるべき旨の申立ては必要性の疎明がないからいずれも却下する。
2 債権者立石の賃金仮払を命ずべき旨及び同債権者が債務者に対する雇用契約上の地位を有することを仮に定めるべき旨の申立ては、いずれも理由がないから却下する。
3 債権者大楠の本件出張命令の効力を仮に停止すべき旨の申立ては、一応理由があるから、同債権者に担保を立てさせないで認容する。
よって、主文のとおり決定する。
(裁判官 野田恵司)
別紙一 仮払金目録
<省略>
別紙二 請求金目録
<省略>